広島平和記念公園ガイド参考マップ《国別・都道府県別・職業別・樹木別・~編》
こんにちは、
Hiroakiです。
平和記念公園で碑巡りなどのボランティアガイドをしておりますと、実に様々な地域からのお客様にお目に掛かります。
私は英語が喋れないこともあり、普段外国の方をガイドすることは無いのですが、ごく稀に成り行きでご案内することもございます。
ちょうど公園内のレストハウスという無料休憩所の前辺りで待機していたところ、東洋系の外国人らしき方がガイドブックを広げて何処かの場所を探しているご様子でした。
ちょっとした場所を示すくらいならば、と思って話しかけたところ、意外なことに日本語の応答が帰って参りました。
よく聞いてみると、その方は日本人で現在は家族でカナダに在住しておられ、今回広島へ御自分の子供達とカナダ人の御友人を連れての観光旅行ということでした。
私が初めに東洋系の外国人らしき、と勘違いしたのは、見た目は日本人っぽいけれど外国語で書かれたガイドブックを持たれていた事や、何となく服装が欧米系の人達っぽかったという理由でした。
ほんと、世界各国から観光客の訪れますこの広島という場所は油断なりません。
以前、広島城でのボランティアガイドで、表御門辺りで東洋系の若い女性からトイレの場所を英語で聞かれた時もてっきり、中国の方かなと思ってお聞きしてみると意外やロシア人だったりとか等、おもわず
えーっ?ろ、ロシア!? と口にしてしまったくらいでした。
その方はニッコリ微笑んでトイレに行かれたようでした。
見た目で出身国が判別できるほど世界は甘くないと思い知らされた一件でした。
結局、そのカナダから来られたお客様御一行を、私は英語が喋れないからという趣旨を伝え、その日本人の方に通訳してもらってガイドする事になりました。
実を言うと、このカナダから来られたお客様に、あるとっておきのガイドをしようと内心ワクワクしていたのです。
カナダに関係する花壇がこの平和記念公園内にある事を最近知ったばかりだったのです。2001年に広島が※国際平和庭園に指名され、それ以降毎年広島市が平和記念公園内にある「平和の時計塔」南側緑地帯にチューリップを植えつけている花壇があるのです。
その事をカナダからのお客様にガイドしようと目論んでいました。
いよいよその場所に来て、私は説明を始めました。
それを通訳してもらい、カナダ人の御友人方がどの様な反応をされるのかを楽しみにしておりました。
「オー、オー、フンフン、・・・」
おっ、いい感じで伝わってる御様子。
そして次の瞬間。
「アイドンットノー」
追い討ちを掛けるように
「そのような話は聞いたことがありません。」
「まったく知りません。」
と通訳をして下さった方が静かに言いました。
私は期待していた分、少々がっかりしました。
(そこは日本語に訳さなくても分かるよ)と心の中で思いましたが、笑顔でガイドを続けました。
もっと言うと、最後の「まったく・・」の部分までは喋ってなかったでしょ?
百の知識を勉強してもガイドに反映されるのはその内の一つか、二つ。
だけど、何も勉強していなければ何も喋れない。
そう思って、広島平和記念公園ガイド参考マップを作っています。
私のF.B.のページで公開しておりますので良かったらご覧になって下さい。
以下抜粋
※《アメリカ・オランダ・カナダ》
国際平和庭園:「平和の時計塔」南側緑地帯
国際間の友好関係を促進する目的で1991年にアメリカ・ワシントンDCに設置された国際平和庭園基金が毎年世界平和に貢献した都市を指名してプレートやチューリップの球根を寄贈している。2001年4月に指名された広島市ではそれ以降毎年チューリップの球根を植えつけている。
アメリカ(1991)→ポーランド→ドイツ→ハンガリー→フランス→スロベニア→南アフリカ→モザンビーク→コスタリカ→オランダ→日本(2001)→オーストリア→イタリア→ギリシャ→キプロス→アイルランド→スイス→ウクライナ→トルコ→ボスニア、ヘルツェゴビナ→・・・
国際平和庭園の起源は1940年ナチスドイツの侵略から逃れてイギリス、当時イギリス自治領であったカナダへ亡命したユリアナオランダ女王の話に遡る。亡命先のカナダで三女のマルフリーテを産む時に、オランダの王位継承者はオランダ国内で誕生したものに限る。という法律があったので、カナダ議会はマルフリーテの王女としての権利を守るため、ユリアナたちが滞在している病室をオランダの治外法権区域とする特別法を可決しマルフリーテの権利を保護した。ユリアナはこれに深く感謝し、戦後オタワにチューリップの球根を寄贈している。