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広島平和記念公園ガイド参考マップ≪国別・都道府県別・職種別・樹木別・他編≫

《医療関係》

 

「防空業務従事令書」により疎開を禁止され、広島市内での医療救護活動を義務付けられた

298名の医師を含む2370名の内2168名が被爆した。

広島市医師会原爆殉職碑「祈りの手」(1960/8/4)建立

 

 

 

《日赤関係》

 

8歳のときに広島市鉄砲町で被爆し、9年後の1955年に原爆病で倒れた千葉亮君を、引っ越し先で通っていた成城高校(東京)の学友等が救おうと、自主映画『無限の瞳』を制作。雑誌「高校時代」の<高校テアトル>の頁に掲載された自主映画の記事にJRC(青少年赤十字団)に所属していた愛知淑徳高等学校の生徒らが感銘し協力して、日赤愛知県支部を通し日赤広島県支部へ折り鶴五千羽を贈る。その内の一房を「原爆の子の像」設立のきっかけとなる佐々木禎子が受け取った経緯があった。映画タイトルは和歌山県の簑島高校から届いた文集から取られた。

 

 

《理容関係》

 

一、原爆供養塔付近に元広島理容学校があった。

 

二、原爆投下当日に撮られた松重美人さんの三枚目の写真に、被災した松重さん宅の理容店内の様子が写し出されている。

 

三、佐々木禎子さんの実家は理容店だった。

 

四、元安川l河畔緑地帯に広島市理容師会による「毛髪碑」建立(1960年3月)。