読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

広島平和記念公園カレンダー366日今日は何の日?《1月》

 

 

1

2

3

4 ビキニ補償問題が解決{内訳;第五福竜丸関係1億2000万円・マグロ廃棄1億8000万円・危険区域航行1億2500万円・マグロ値下がり3億4000万円}しかし関係者等は「要求額の三分の一」と不満(1955),中国新聞が世界各国の「核戦力の現状」をまとめ1964年12月現在の核実験総数は米333回・ソ連126回・英24回・仏5回・中国1回(1965)、1975年度予算案の大蔵省原案内示でABCCから日米共同運営になる放射線影響研究所の設立に13億8400万円全額認められる(1975),安倍晋太郎外相が1985年度外務省予算で南米在住日本人被爆者検診のため巡回医師団派遣を表明(1985),全面的な核実験禁止を求める国際集会が米ラスベガスで始まる。環境保護団体グリーンピースや米の反核団体が主催し20カ国1500人が参加(1991),プルトニウム輸送船あかつき丸の入港に抗議し広島の脱原発グループが原爆ドーム前で座り込み(1993)

5

6 広島折鶴の会が原爆ドーム保存にと市長に募金や署名簿を提出(1965),朝鮮民主主義人民共和国が核実験(2016)

7 佐々木禎子生誕(1943)

8 広島市復興局設置(1946)

9 第五軍管広島鎮台設置(1873)

10 ABCCの研究所、広島市比治山に完成(1951)

11 ノーマン・カズンズ氏から精神養子への第1回送金2000ドルが広島市役所へ届く(1950),米がソ連の中部太平洋におけるミサイル実験には抗議しないと発表。藤山愛一郎外相は「ソ連に注意を喚起したい」(1960),千葉県の匿名女性が「夏珠子の童謡」という自作の童話集2冊を原爆病院に送る(1964),共産党系の広島県原水協が全国規模の原爆小頭症児を守る会を結成(1966),公演のために訪れた米のジャズピアニスト、オスカー・ピーターソン夫妻が広島駅で精神養子の6歳の女児と初対面(1966),広島・長崎の被爆で防空活動中に殉職・負傷した警防団員に対し1969年度中に国の弔慰金、見舞金支給(1969),被爆者救援日韓協議会が広島原爆病院に入院中の韓国人被爆者女性の入院費募金の街頭カンパやビラ配布を決める(1969),内閣放射能対策本部が日本上空の高空浮遊じんから平常時の100倍の放射能を検出したと発表。中国核実験の影響とみられる(1972),第2期ニクソン政権のウイリアム国防次官が「パリ和平交渉が決裂した場合は北ベトナム核兵器を限定的に使用する可能性を否定しない」と証言(1973),中国新聞で小久保均・岩崎清一郎・大牟田稔氏らによる連載「広島文芸の日々3人による戦後史」が始まる(1978)、「10フィート運動原爆写真巡回展」が広島市役所などで始まる(1982),アルゼンチン原子力委員会のカルロス委員長が「アルゼンチン、ブラジルは3年以内に原爆製造が可能」と語る(1982),広島市内の女性3人(澤田さん・今村さん・山本さん)が被爆死した子どもの遺品5点を資料館に寄贈「形見にしまっておいたが、私たちも年を取った」(1983),海上自衛隊の対潜哨戒機が沖縄北西450キロの海上で救難艦に曳航されるソ連原子力潜水艦を発見(1986),チェルノブイリ原子力発電所事故の被曝者治療のためソ連原発事故医療・治療研究調査団が来日。13日から16日まで広島大原医研、放影研、広島原爆病院などで専門家と意見交換(1987),米復員軍人省が前身である復員軍人局が放射性物質を使い大規模な医学人体実験を行っていたことを示す資料を公表。実験台にされた米カリフォルニア州在住の黒人男性が米エネルギー省を相手取り1000万ドルの損害賠償を求めサンフランシスコ連邦地裁に提訴。放射線人体実験の対象者は当初推定の800人をはるかに超え数千人の可能性も(1994)

12

13 広島市原爆障害者治療対策協議会発足(1953)

14

15 広島カープ〈現広島東洋カープ〉が球団結成披露式(1950)

16

17 初の韓国人原爆慰霊祭、150人が出席(1968),多国籍軍イラクに対して空爆開始、湾岸戦争始まる(1991),阪神・淡路大震災(1995)

18

19

20

21

22 中国軍管区司令部を広島市に設置(1945)

23

24

25

26 住友銀行広島支店玄関先の『人影の石』の移設工事開始、後に平和記念資料館に展示(1971)

27

28

29

30

31

 

 

※ 昭和38年豪雪(1963)